箱があった

考えてたこと、また忘れてしまった。出力しそびれたもの、追ってもみつからない。どこへ消えたのだろう。
私にとって、トラウマソングというか、思い入れが強すぎてフリーズしてしまう曲というのはいくつかあるなあ、と思った。感情が想起されてしまう、必ずしも、ネガティブなものばかりではないけれど。好きすぎて、聴けない、というのに近いのかな。好きすぎて、近づけない。自分が壊れてしまいそうだから。べきでない、もので溢れそう。
時間がたって、おとなになって、もう克服した、だいじょうぶだ、とかって。ねえ。
関係ないけど、おべんとにミートボールを入れた。入れるときには、温めてから入れるんだよ、食べるときにはまた冷めてるのに。そのままでも召し上がれますって書いてあるのに。
たぶん何度も繰り返すことで、痛みに慣れる。薄まっていけば、軽減する。
さて、ここで自問します。痛みって?なんだっけね。
ここ数ヶ月、置いてきたはずのもの、捨ててきたはずのものが、実はまだあった、押入れの奥にしまいこんだだけだった、箱を見つけてしまった、開けるべきか、それとも忘れたふりをしておくべきか、でその箱の前をうろうろしている。開けて何が変わるか。開けても変わらない、状況。私の内部へ、だけの影響。状況を、あいしてもいる。でも箱をまだ持ってたことに気付いてしまった、ことに知らないふりもできずにいる。
箱の中身はなんだったっけ?
きっと余計なものなんだよ。
気圧が低いから、わたしからどんどんあふれ出てしまうのです。まって、まって。