ああ、違う違う。京極堂の話と私が言いたいことは全く違うはなしだ。

私はたぶん、言葉にして説明すること、の意味を考えている。それから理由、という言葉について考えている。理由は、言い訳になる。きっかけは、事実だと思う。

言葉にするということは、曖昧なものに形を持たせるようなものだ。例えば緑と青の中間のような色を、緑と表現したらそれは緑色になる。そして言葉を受け取る側の「緑色」という認識にあてはめられると、もともとの色とは異なる色としてまた別の人に伝えられるかもしれない。

ああ、話がずれてる。理由は、後付けの言い訳。それは自分自身にも、特定の誰かにも、社会に対してもの言い訳。必ずしも後付けとは限らない。けど、理由は言い訳と言ってもいいんじゃないかと思う。

後から考えると、何もかもが伏線になってるように見えるものだ。あの時こうだったから、なんて、確かにそのときと今とは繋がっているけれど、直線じゃない。そこからここにいっぺんに飛んできたわけじゃない。あ、そんなことは誰もが承知してるか。

だから理由、という言葉の意味を考えてしまう。あれもあってこれもあって、こうなっているので、何かひとつをピックアップして語れることではない。何故、と訊かれてもそれに正しく答えることは不可能だ。それは、言葉の伝わり方についても含めて。


と、ここまで書いてから手元の辞書を引いてみた。「理由―①その・人(時)の行為を正当化し根拠づけるものやこと。②何がもとになってその事柄が起きたかについて、理屈でつじつまを合わせたもの。(三省堂 新明解国語辞典 第四版)」あ、なんだ辞書も言ってるのか。理屈でつじつまを合わせたもの。

じゃあ、理由という言葉の意味を取り違えてたのは、私のほうだったのか。