不安というものは、忍者の毒針のようなものだろうか。

いつ、どこに刺さったか分からない針から少しずつ少しずつ毒がまわり、気がついたときには体中に行き渡ってしまって、もう動けない。ワクチンがあったはずなのに、どこにやってしまったのか分からない。ワクチンのつくり方さえ失念してしまった。いや、覚えていたとしてもワクチンを作るだけの気力も残ってないだろう。とにかくただ、体から毒素が抜けきるまでただじっと待つしか手はない。

あるいは不安は、ぴったりと背中にくっついて離れない。ふと、遠くから忍び寄る気配に気付く。あるときふと気付く。気付いてしまうと、一直線にこちらに向かってくる。そして背中に張り付く。いやな言葉をささやき続ける。気付いてない振りをして笑う。気付いてない振りをし続けて、ほんとうに忘れた一瞬のうちに、どこかへ去ってゆく。


脳味噌が疲れていると、古い記憶と目の前の出来事が混線する。観念だけがぐるぐると巡りだす。ぐるぐると回る言葉の渦の中に、あれが真理なのかもしれないと思うものを瞬間見つける。でもそれは多分昔に読んだ本の一節だったり誰かの言葉で、真新しい何かではないのだろうけど、もしかしたらこの瞬間を指して「神が降臨した」とか「悟った」とかいう場合もあるのだろうと思った。思ったけどそれすらも私が思ったことではないのかも知れないと思った。

「そんなことはどうでもいいのだ」と、何度も口に出して言う。耳に届かない言葉は渦に巻き込まれてしまう。今は目前の仕事をこなさなければならないのに。同じ言葉が束になってまた思考をふさぐ。再びつぶやく、「そんなことはどうでもいいのだ」。

単語が散乱する。単語の意味を考える。意味ってなんだと考える。意味などないと考える。意味はあると考える。考えることを考える。単語が言葉になる。思考が散乱する。

止まらない。そもそも何を考えているのかが分からないから結論は出ない。目を閉じると鼓動だけが大きく聞こえる。生きているのだなと思う。一個の生命体であることを思う。散乱しているだけで実態は停止している思考。

もちろん、文章もまとまらないのだ、こんな風に。

言いたいことは何もない。