なにか語ってみる風に

トシコ氏、帰る。妹氏、彼氏と帰って来る。
父親の実家へ。川に入って鮎とり、そしてBBQ。連日か。
引っ掛け漁法で採ったばかりの鮎に、ざくざく切れ目をいれて、塩をまぶして網の上に置く、という仕事を与えられた。やりながら、雌雄の見分け方とか、妹氏にレクチャーしてみた。
川ではしゃぐ親戚の子供らを横目に、すずむし姉妹はキラキラしている石を収集していた。
それにしても、なんていうロケーション。山と空の境界が、くっきり、色濃く。まるで、「ぼくのなつやすみ」だ、という妹氏。プレステのソフトらしい。

川の上流はどこまでも澄んでいて、鮎の稚魚はもちろん、サワガニもうようよと。子供の頃から来ているけれど、何ひとつ変わってないように思える。ヨシノボリも、わさわさいた。数年前までは、この水で、稲を育てていたのだ。後継者が居ないことから、もう田んぼは閉めてしまったのだけど。

BBQを終えたあとの片付けで、その場で出たゴミを、すべて燃やし始めた。紙皿、割り箸などはまだしも、プラスティックのトレイとかも、何もかも。妹氏とふたり、やりきれなくなり、少し離れた場所で、ダイオキシン・・・とつぶやいた。
それから、肉や野菜をさんざん焼いた鉄板だとか、網だとか、川にいれてざぶざぶ洗い始めた。ヨシノボリ・・・とつぶやきながら、また妹氏と薄笑いで眺めた。

田舎には、そういう文化が、まだあたり前のようにあるのだなあ、と。崖というか、堤防というか、ほんのちょっと上ったらそこに家はあるのに。母親も、微妙な顔をしていた。しかし我々が口を挟むわけにはいかないのだろうなあ、と思いながら、この風習は、次の世代には受け継がれないようにしよう、と妹氏と話した。
確かに変わらず、山の木々は青々と、水は清らかに澄んでいる。が、それはここが、この川の流れで最初に現れる人家であり、またこの山に住む人間の数が非常に少ないからだと思う。でも、最近猿が出なくなったとか、イノシシが山の下のほうまでおりてくるようになったとか。

すずむしは、強く自然保護を叫ぶほうではないのだけど、実際ああいう山の風景は、目前にすると、あるといいなあと思う。うーん、考えると、どうしたいのかわからなくなって来る。そもそも、自然と共生しよう、というのが間違ってるようにも思えて来る。人の住む場所と、人の入らない場所というのを、完全に分けてしまうのがいいのではないか。お互いには干渉しない、という。出来ないのかな、そんなことは。人は増える一方だものな。もし、ああいう山を、自然の形で残したいなら、そこから人は撤退するべきだ。それで山が崩れるのなら、それも自然の流れで、また長い年月をかけて、木々は再生するのだろう。管理しよう、姿を変えないように、なんて、身勝手な話だ。