まだ

suzumu2008-01-27

治ってないのだった。喉。
でもまあ、ちょっと良くなったかな。
いろいろ手を広げていくと、どこまで伸ばしたのかわからなくなる。この手の先が、どこまで届いているのかわからなくなる。もう一度同じプロセスをたどるはめになることもある。でも、それは一度目より二度目のほうが早く、洗練されて、届く。そして、届いた、という感覚を忘れてしまっても、届いた先でそれを覚えていることもある。忘れたことは、思い出すことが出来る。
とにかくすぐ物事に手を出したくなるすずむしですどうもこんばんは。
何か、これはいけないことだ、って自覚をしていることをしてしまったとき、それを批判する人がいるというのは優しいことだなあと思ったですよ。いわゆる道徳的な意味ではなくてです。むかし、そういうことをしてしまったときに、近くに批判する人がいなかったことがあって。そういうとき、自分でひたすら自分を批判するの、批判して責めて否定して、たぶんそれはすごく痛かった。ので忘れられない。
そういうときに、批判する誰かがいたら、私は私を責めるだけでなく、私を守ることも出来たんだと思う。
そういう意味で、批判する人の存在って、優しいなあと思いました。少なくとも、自分を責めるうちの何割かは、その人に向かうんじゃないかな、と思って。わかってるから言わないでよ!っていう、その言葉がすでに甘えだよね。
なので、すべてを受け入れる人ってのは、もしかすると、優しくないかも。すずむしは何でも、受け入れていきたいと思うのだけど、場合によっては、批判することも要るなーと。
あ、でもそういうのって、大切だと思うひとにしかしないよね、それってつまり無意識に、その人の痛みを少しもらって和らげようってことなのかな。んん、どうかな、そうだといいな。
あんまりかたよった正義は困っちゃうけどね。自覚してないときの批判は、また別の話だねえ。