ふれるふれる

こんな簡単に何かが芯にふれたりしたっけな。近い近い。ふれる、ふれるたくさんのもの、何度も。こわいな。
放出したからかな、中に入ってくるものも多いみたい。ちっとも空っぽにはなれないけど…
綱渡りしてる、その綱を、引きちぎられるみたい。ちぎらないで、って思うのと、ちぎって欲しい、って思うのと両方あるみたい。ただ沈む陽に、染まる空に、言葉を見つけられないんだ、立ち尽くしちゃう。


ワーって叫んで走り出したい衝動、いっそ気がふれてくれたら、と思う。
その横で、ハハ、なんてね、って冷めてる自分もいるんだ。
どっち?って、どっちもホントだろ。


ちょっと落ち着きましょう。
落ち着きましょう。


ソリティアやろうぜ。

やっぱりロボがいいな

途中で見るのを忘れていた、太宰治短編小説集を見る。「駆け込み訴え」。
なにこれ、すごい良かった。うわあ。
見ながら鳥肌がたったのは、部屋が寒かったから、だけではないと思う。こういう新しい解釈、というか、新しい物語を吹きこむような映像化は大歓迎。元々の文章はそのままで、別の映像。違和感はなかった。とっても良かった。


忠実に、命令に従えたらなあ。全くの、誰かの駒。そういう意味では、初音ミクが羨ましい。きっとそれは快感。

どこへも行こう

単純作業をしてるときが、いちばん思考が広がって、いいな。
言葉で系統立ててないかんじ。あちこちでフラッシュが焚かれるみたいな発露。それが連鎖して、辿り着く場所。
知ってても、わからないこと、知らなくても、わかること。


好きな文章の好きさに、また打たれていた。ほんとうに、内容なんて二の次で、その文章の流れやリズムに、うっとりする。
たいてい、内容もすごく好きなんだけど。
私が好きな文章を書く、存命の人には、もっとどんどん文章を書いてほしい。そうだな、すごく好きな声、みたいなかんじかもしれない。喋っている内容は置いておいて、ただその声を聴いていたい、というのに近いかも。
とりあえず今日はこれを読んでニヤニヤするんだ。
http://d.hatena.ne.jp/kotorikotoriko/20080825/1219516090

箱一つぶんくらいあればいい、がいい

今日も声が出し易いの続いてた。録音してきた。なんて素敵なタイミングでしょう。
私も物を捨てていきたいなあ。捨てられない点はどこにあるんだろう、何に執着してるんだろう。たぶんとっても些細なことだし、思い出せない、思い出さないことなら必要ないことなんだろうとは思うんだけど…。
ほんとうに、何もかもを捨てて、いつでもどこへでも行ける状態でありたい。わりと今、精神的には軽いんだけども。現物として、自分を留めるものはたくさんあるね、それを見なけりゃ軽いままでいられるんだよなあ。
思想とかね、なくしたいな。
もっともっと軽くなりたい。時期がきたら、捨て祭りを始めましょう。

水が流れる

HARQUAのライブはとても良かったです。Quinkaさんの声は小鳥のさえずりのようだと思いました。
ものすごく嫌で、逃げたくて仕方がない、もう泣きたい、でも逃げられないって状況のとき、自分を守るための鎧がある。ここ数年でいちばん有効なのは、「すずむし」の殻を被ることです。
「すずむしさん」は万能なんだ。
自分の視点を、ここから少しずらしたところに持っていく感じ。すずむしのフィルターを通して世界を見るんだ。私はすずむしの半歩後ろにいる。
あと、知ってる他人の殻を被ったりもするね。とにかく、自分ではないってことで、自分を守る。
書きながら、誰でもやってることだろうな、と思えてきた。
何かの振りをしないと、できないこといっぱいあるよねえ。
整体に行って、頭の後ろから背中までほぐしてもらったら、声を出しやすくなった。からだ大事。全部つながってる。
この、全部つながってる感って、ときどきすごくしっくり来るね。何もかも、そう。全部つながってるんだ。何も独立してないんだなあ。
ぼのぼのにもあったね、つながってる水のようだ、って。
つながってるんだなあ。それを断ち切りたくもなるんだけど。断ち切ったとしてもすぐにまた生える、とはキリンジが言っていたね。地を這うものに翼はいらぬ。